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お題「ジャニオタになったきっかけ」

お題「ジャニヲタになったきっかけ」

いつも楽しく文章を拝見させていただいているあややさんのお題でブログが書けるというしあわせ!



私の母はスマオタだ(察し)。保育園へ向かう車の中では「がんばりましょう」が流れていたし、車にいるときの私はずっとMIJのジャケットをいじっていたような記憶がある…

そんな娘がジャニオタになるのは当然で、ジャニーズは私の生活にいつのまにか存在していた。その流れで、人生初の担当(という概念はなかった)は中居正広さん。うたばん死ぬほど好きだったよ!!幼少期の記憶が心配なほどないけど唯一すごく覚えていることがあって、それはかんしゃくを起こした私が母のスマコンジャンボうちわを折ってしまったということです。ごめんなさい\(^o^)/

初めてのコンサートは「Pop Up! SMAP LIVE! 思ったより飛んじゃいました! ツアー」のはずなんですがとにかくグッズ列が鬼畜だったことぐらいしか記憶ない。全然関係ないけど草なぎさんソロの「TOKIO」が私は大好きです!!ガウリトゥルルプメアヌンチェ??!のフレーズがほんと好きでした。

昔のノートにこのときのチケットが呪いのような粘着力のテープで貼られていて\(^o^)/もったいないんでノートごと保存してるけど自分でしておきながら怖すぎるレベルの粘着力。ついでに赤鉛筆でそこへ添えられた私のコメント(当時7歳)は、「なかいくんすごーいがんばってた♡」である。誰…マジで…頭叩きまわしたい…………誰だよ……

今思うとコンサートで踊る中居くんがあまりにかっこすぎてやっと辿り着いた、絞りだせた必死の感想だったのかもしれない(こじつけ感)。それまではバラエティでの中居くんを多く見てきていたのもあってわりと衝撃だった。

こんな感じで生活にはジャニーズが常にいた。見始めた経緯は覚えてないけどanegoめっっちゃくちゃ好きだったんですよ…当時6歳だったけど毎週録画して見た。赤西仁にひたすらドキドキした。周りにanegoの話ができるひとなんて当然いなくて悲しかった!あとたったひとつの恋も熱心に見てた。だけど思い返すと仁亀ごくせんも野ブタも見てないなあという…ごくせんは高木雄也さんらが出てたのなら見てた。修二と彰のCDはなぜか持ってた。青春アミーゴ、今でもジャニオタじゃない友だちと歌うし踊るし何よりみんな分かる。それがほんとに嬉しくて楽しいから、やっぱりジャニーズすごいと思う。もう一曲一曲がそれぞれ、みんなの思い出や記憶や生活の一部なんだよ。

そして花男ブームに当然乗っかり、人生初の担降り(概念はない)を櫻井翔さんへ。ザ・クイズショウの存在も大きいような…これが本格的なジャニオタ出発点かもしれない。小5のとき突然伊野尾慧さんに目覚めた以外は脇目も振らずに長い長いアラシック…?時代を過ごした。過激なオタクだったためその反省はちゃんと今に生かしています多分\(^o^)/ツイプロにどの現場に行ったかとかを必死に書いてた記憶があるけど、今考えると美世界魂参戦!が一番宗教みあるしやばい。小学生から中学生まで、溢れるエネルギーを全力で嵐と部活とインターネットにぶつけた。気づけば周りの友だちはどんどんオタ卒していたけど、私の半生は多分ほぼジャニーズと共にあるので、オタ卒なんか考えられない。


そんなこんなで現在、中島健人担かつジャニーズタレント大好き人間になった。中島健人担として骨を埋めたいで候。そういえば人の影響をなんにも受けずに落ちたのはSexy Zoneが初めてだ。SUMMARY2012の映像で泣く芸は未だ健在!!!

結局のところジャニーズはずっと楽しい。悔しいけど楽しくて大好き。子は親を見て育つというか、親の影響ってやっぱり大きいんだなと今回の記事を書きながら改めて感じた。初めて自分のジャニオタ史を振り返ったらこんな長文になってしまって若干引いてますが楽しかったです。Sexy Zoneに落ちた経緯もいつか書いてみたいな。